探求学習、アクティブラーニング、思考重視型…
「いま」の時代にあふれる教育スタイル。
そして、詰め込み教育は今風ではないと、
「時代遅れ」、「昭和平成の教育」とまで揶揄され、
もはや悪者扱いだ。
たしかに、
「学習に期待感をもって取り組む」とか
「学習を少しでも楽しもう」とか
こういう主張も一理あるし大切な姿勢だ。
(そういう姿勢で学習できるのは理想)
だけどね、その「期待感をもって」とか「楽しむ学習」とかには
最低限「必要な知識量」ってものがあるはずなんだよ。
その「必要な知識」を持ってもいないのに、
探究だのアクティブ~だの、思考が云々…
ってなっているから、「うわべだけの探求学習」に終始してしまって、
その多くは大した成果を生み出すことがない。
飛躍的な言い方をすれば、日本の学力低下や国際的地位の低下を
招いているのではないだろうか。
だから、僕は「詰め込み教育こそが真の教育」くらいに考えているんだ。
耳障りの言い言葉で、子どもが勉強することから逃避できる状態は
決して良いことではないと。
「量より質」という時代の流れなのかもしれないが、
やはり絶対的な「量」は必要不可欠だ。
かつて日本は世界トップレベルの技術力・開発力で、
さまざまな分野をリードしてきた。
それを牽引してきた世代はみんな「詰め込み教育」を受けた人たちでしょ。
世界的企業に成長した自動車産業も電気機械やIT産業も
ノーベル賞を受賞してきた方々も、昭和世代の活躍あってだ。
彼らに限って「詰め込み教育」を受けてこなかったの?
僕たちに身近な話だと、
中学生に作文を書かせると、年々「稚拙」なものになっていく。
意見を求められても、小学生のような受け答えしかできない。
これだって「言葉を知らない」から、
表現力豊かな文章を書いたり、発言したりというところに到っていないんだよ。
なのに、グローバルという耳障りのよい言葉を信じて、
幼少期からやれ英会話だ、やれ第2言語だって…。
先に学ばせるべきことがあるでしょ、「母国語」をって話だ。
「詰め込み」=「悪」・「時代遅れ」
と教えられ、育ってきた子たちは、
興味関心に従って効果的に学ぶことで必要な知識も増えていく
と勘違いしている・させられているように感じている。
もっともっと泥臭い努力が必要だし、
それが究極、生涯にわたる「学び」を支えていくんだ。
「詰め込み」はいつの時代も立派な学習法である。
だから、プラス進研では「泥臭い努力」の必要を訴えている。
絶対的な「詰め込み教育」の先に、
知識を引き出したり、組み合わせたりする中で、
量より「質」を重視した探究活動やアクティブラーニングがある。
子どもたちの勘違いは、勘違いさせられた大人が育んでいる。
そこから脱出しなくてはならないだろう。
子どもたちが勘違いしない教育を実践したい。
これが僕が塾をやる上で大切にしたいことの1つでもある。


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