今年の中2は人数が少ないんだけど、「まじめでいい子」タイプが多いんだ。
昨日、国語の文章、随筆だったんだけど、なかなか面白い内容で。
僕のトークもあって、子どもたちは存分に楽しめたことであろう。
さて、授業で話したことね。
大人にとって「印象が強い」「記憶に残る」子ってどんな子か、って。
なんでそんな話をしたかって、
大事だから。印象が強い、記憶に残ることが。
・学校の成績(絶対評価)で得をしやすい
・大人からかわいがられる
・社会に出てから一緒に仕事したいと思ってもらえる
・困ったときに救いの手が差し伸べられる
などなど、良い事ずくめじゃん。
で、これから書くことはまず、人としての必要な素養(挨拶ができるとか、素直にお礼を言えるとか、謝れるとか、最低限の義理と人情があるとか、そういう当たり前のこと)が整っていることが前提での話だ。
結論から言うと、
先生が「ちょっとてこずる子」「はたまた、えらくてこずる子」の方が、「面白い子」と思ってもらえる確率が高くて、「大人(先生)の記憶」に残るってこと。
これは、あえて意地悪をするとか、片っ端から反抗するとか、そういうことじゃない。だって、ただ自分勝手に抗うだけでは、無意味に嫌われてゲームセット、だからね。
たとえばの話、普段は当たり障りのない「いい子」であっても、時には「納得のできないこと」や「自分の哲学的にゆずれないこと」ってあるはずなんだ。相手が先生だから、大人だから、すべて正しいとは限らないしね。
だから、そういう時は自分の意志を通すための努力(意思表示)ができた方が絶対にいい。
もしかしたら、先生にとっても予想外の意見を出されて、「この子、面白い」って思ってもらえるかもしれない。
それに、人間、「こいつ、面白い」って思われれば勝ちよ。
だって、その人の「記憶」に残るから。
だけど、自分の信念を曲げて「わかりました」って言っちゃう子が多いから、大人たちはある意味で安心して、その子を「大人の言うとおりになるイエスマンくん」と認定するのだ。
結果、記憶に残らない「空気くん」に成り下がってしまうわけ。
逆の見方をすれば、そんな多数の「空気くん」のおかげで、「記憶に残る子」としてのポジションを獲得できている。
で、この「面白い」と感じるツボは、人によって違うから、すべての人の記憶に残るというのは不可能だ。だけど、いろんな人がいるわけで、「芯を曲げず自分らしく」生きていれば、誰かの心に刺さることは十分にあるはずだ。
そして、「こいつ面白い」って思われるために必要な力って、共通しているんじゃないかと思う。
その力とは、
1、発想力
2、創造(想像)力
3、発言力
4、行動力
5、コミュニケーション能力
これじゃないかな。
そして、思いのアウトプットには「言葉」を使う。
思いはあっても言葉にできなければ伝わらないし、平凡な言葉だけでも面白くない。
やっぱり「言葉」は不思議な力を持つから、
この5つに、「言葉の魔力」が加われば最強だ。
勉強すること、本を読むことって、この力すべてを少しずつ強くすると思う。
だから、国語の授業では扱う文章の題意に沿って、いろんな話をしていく。
で、思い切り笑って楽しみながら、その幅を拡げていけるといいなと思う。
ちなみに、僕は「この先生、いいな」って思った時は、とにかく真正面から突っ込んでいったよ。
絶対に「イエスマン」にはならなかった。
で、論破するためのアイテム「語彙」を、好きなテレビドラマとか文庫本やら雑誌やらから拾い集めてノートに書き溜めていた。
「人が使わない言葉」をどうしても使いたかった。ちょっと生意気が過ぎたと反省してるけど。
結果、こうして大人になって、先生たちの記憶に残る生徒であったことで、とても助けられている。
わかる人には、わかってもらえるんじゃないかな。
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