習慣化すること

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これって、意外と難しいよな…と思う。

自分が毎日やっていること、つまり習慣になっていることを挙げてみてほしい。

たとえば、外出後の手洗い、毎日の歯磨き、寝る前の「おやすみなさい」や起きた時の「おはよう」、人に会った時の挨拶などは、誰しもが習慣になっているかな。

でも、この習慣たちって、決して”自分の意志で”つくられたものではないと思うんだ。

少なくとも僕はそうだ。

手洗いにしても歯磨きにしても挨拶にしても、習慣となっているものは基本的に親から躾けられたことだ。躾けられていないのに勝手に行動できる子どもなんて、そうはいないだろう。

さらに言えば、僕は子どものころ、「毎日勉強するように」躾けられた?はずだったが、躾けた親からすれば、とんだ期待外れとなったことだろう。いやはや、申し訳ない気分になる。

つまり、「自分の意志で習慣化する」というのは、かなりハードルが高いと思って間違いない。

だから、勉強のように本人の意にそぐわないことを本気で習慣化するには、強力な外的パワーが必要になるのだ。

そりゃぁ、子どもが自発的に勉強好きになってくれたら理想だ。

けれど、すべての子どもに、期待できるわけがない。

たとえば親が長野の諏訪湖旅行に子どもを連れて行ったとする。

すると、その諏訪湖周辺はちょうど「フォッサマグナ」にゆかりのある土地だと知った。

そしたら子どもが勝手にフォッサマグナに興味を持って、地学の本を読み漁るところから、勉強が好きになって……。

なんてことは極めて稀有な話でしょ?

それに、そういう子どもの場合は、日常からの親の声がけにそうなるエッセンスがあって、なるべくしてなっているのだとも思う。

だから、やっぱり強力な外的パワーが必要だ。

じゃあ、そのパワーになれるのはって誰だ?

第一に保護者である。

学校や塾がいろいろと言っても、家庭内のことまで首を突っ込むことは難しい。子どもにとっては一番の理解者であり、最も身近で長い歳月をかけて人格形成に影響を与えるのは、どう考えても保護者だ。

しかし、小学校高学年や中学生ともなれば、すべてを素直に受け入れるかと言えば、そうじゃなくなるものだ。

第二に学校である。

ところが学校というところ、「勉強」して「成績を上げる」ことだけを目的とはしていない。

教師という職、勉強以外にも伝えるべきことがたくさんある。

だから「レベルの高い学校に合格するために〇〇しろ」などといった指導を期待するのは”お門違い”ということになる。

そこで「第の外的パワー」として期待されるのが、それぞれのカテゴリの専門的な指導者だ。

「勉強」ことに「成績アップ」や「受験」については”塾”がそこにあてはまる。

塾が家庭や学校と異なるのは、塾は義務教育の場ではないし、ボランティア団体でもない。塾屋である僕たちの生活もかかっている。だから、当然「受講料」なるものがかかるということだ。

受講料をいただいて子どもたちを預からせていただいている以上、責任を持って「強力な外的パワー」になりたいと思う。

預かる以上、「お客様」(言い方は悪いけど「飼い殺し」)の塾生がいない塾にする。

そのためには、子どもたちにとっては辛い・苦しいことも数多く課すことになるだろう。

甘やかして、楽をして、成績が上がるなんて夢のような話があるはずない。

日々の苦しみの先に大きな喜びがあるものだ。これは子どもたちにもきちんと理解してほしい。

それを理解してもらえれば、プラス進研は楽しめる塾であると思う。

そして最後に、「家庭・学校・塾」それぞれがそれぞれの責任を果たしていくことが大切だ。

せっかく大枚をはたいて子どもを塾に預けるのだから、保護者のみなさんにも通わせる塾のことを理解してもらいたいし、その上で一緒に子どもたちの習慣化を応援してほしい。

毎日の歯みがきと同じように勉強が習慣になれば、大人たちは何も言わなくて済むようになるんだから。

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