昨夜、小野田が書いたブログ。

思うところがあるから書いておこうかなーと。
初めにこれは書いておきたい。
チェックテストに合格した中1生、想像でしかないけど、本当に努力していると思う。
中学入学で環境も生活も変わって疲れもたまるだろう。
そんな中で、毎日課題の提出もほぼ100%だし、
シレっと2,3日の間が空いての提出とか、2日分まとめて提出とか
特定の課題だけ毎日未提出とか、そういうことが一切ない。
だから、その努力が報われることに、僕も心から喜んでいるし、
採点しているときだって、「合格してほしい」って祈るような気持ちになる。
だから「あと1問」だった中1の2人に対しては、
「心情的には合格でもいいって思う」(だけどテストだから厳しくね)
ということを伝えた。
目いっぱいの努力をすれば、やれないことはない!
ということを、身体でも心でも感じてもらいたいから。
とにかく、ひたむきな努力ができるというのは非常に尊いことで、
それを目いっぱい体現して結果を出そうとする子を、僕も目いっぱい応援する。
小野田のブログにあるような発言をした子たちには、
こういう「見えない部分」への想像力は働いているのだろうか。
むかーし、書いたことがあるかもしれないが、
僕の教え子で1人だけ「開成高校」を卒業した子がいる。
とは言っても、僕が教えていたのは小学5年と6年の2年間だけ。
中学生に上がるときに、当時からスパルタで有名な大手塾に行った。
この子は中学受験を目指して進研に入塾したんだけど、
「渋谷幕張以上の私立でなければ通わせる価値がない」
(=公立中学からでも入れる私立なら高校入試でがんばるべきだ)
というお父様の方針のもと、公立中学に進学した。
2年間の受験勉強で、市川に届くかどうか…というところで、渋谷幕張までは届かなかった。
「にわか中学受験」なりに、本人はよく頑張ったと思う。
このまま進研で預かっていても、公立中学でTOP10くらいにはなれる力があっただろうし、
順調ならば東葛飾高校へは合格できる子と思っていた。
しかし、3年後に彼はその上の上「開成高校」に合格してみせた。
進研で預かっていてそれができたかと言えば、答えは難しい。
そんな彼が塾を変えて半年あまりたった、中学1年の秋、突然、進研にやってきた。
「どうしても水野先生に報告がしたくて」
と見せてくれた定期テストの成績表には
「1位」
と記されていた。
正直言うと、トップを取れる子とまでは考えていなかった。
地域柄、松戸市内でもトップクラスの成績の子が多い中学校でもあるし、
300人の1位になることは、そう簡単じゃない。
その時に感じたんだよね。
ニコニコして報告に来た表情の裏側には”壮絶な努力”があるであろうと。
まさか、それを『君は天才だ』の一言で片づけるわけにはいかんでしょ。
非凡な才能は秘めていたかもしれないが、『天才』の一言で彼の努力を形容することは、
甚だしい想像力の欠如、あまりにもリスペクトに欠けている。
目に見える結果の裏側には、
目に見えない「何か」があることを想像することが大切だって心底思った。
その彼が大学に進学した時に語ってくれた。
「開成の奴らは、『勉強してない』と言っても、実はみんなやっていて、
お互いに、ずっと腹の探り合い。ライバルの勉強量をいつも想像して、
それをいかに上回るか、いかにして勝ちに行くかを考えていた」
って。
要するに、お互いの努力に相応のリスペクトがあって、
それを超えたところに頂が見える、そんな感じなのだろうか。
だから子どもたちには想像力をもっともっと働かせてほしいと思う。
言葉は悪いけど、「人の才能」とか「家庭環境」とか「親の経済力」とか、
どうにもならないことを自分と比べてものをいう輩に、成績上位者は極めて少ない。
というか、それ以前に上位者になる資格がない。
そういう発言をしている自覚があるなら、根底から考え方を変えるべきだ。
また、保護者に関しても同じ。
「あの子はよくできるから」(あなたとは世界が違うから)
といった種の発言を、かりそめにも子どもに聞かせてはならない。
それを言われた瞬間に、子どもは「自分は自分、人は人」という論理を
いかなる場面でも振りかざして、「凡人」という片道切符を携えてゆくことになる。
「凡人」が悪いわけではない。
ここで言いたいのは、「夢なき凡人」である。
最後に、この発言を僕が聞いていなくて本当に良かった。
イベント発動モードになってしまうから。



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