最近の子どもは読書量が減った、というのはよく言う話。
そもそも文章を「読む」習慣がない。
SNSや動画の影響で読む機械も減っているのかもしれない。
まして、教科書だのテキストだのとなると、意識が飛ぶ子も。
子どもたちには「音読」をするように指導しているが、
これは「読む」ことをきちんとしてもらいたいから
というのもある。
しかし、「毎朝音読課題」の提出率は思うほどに高くない。
(もちろん、毎日頑張っている子は半数以上いる)
音読課題があることは保護者も知っているはずで、
やっていないとすれば一目瞭然のはずなのだがね…。
時間がないは言い訳に過ぎない。だって朝のたった5分である。
これは、「やる気」も「やらせる気」もないと僕は断案を下している。
音読の効果は計り知れないほどに高いのに、なんともったいないことか。
確かに即効性は高くないが、成長に「即効性」なるものを求めるべきじゃない。
子どもの成長の機会を確実に奪っている。残念だ。
そんなこんなで、「読む」習慣をつけたいと思っても、なかなか難しい。
塾の授業で音読ばかりしていられないからね。
読む習慣のない子たちの場合、
「教科書を読んでね」
というと、どちらかというと「眺めている」のである。
観光地のように「いい景色だなぁー」なんてなるわけないから、面白くない。
すぐに飽きる。
そしてできないからあきらめる。
そういう子たちは「黙読」(いや、眺めただけ)した後に音読させるとよくわかる。
または、ワークで間違えた単語を教科書で探そうとする。
ちゃんと読めばいいのに、その子の目は
「ウォーリーを探せ!」
みーつけた!
となって、太字を覚えてはい出来上がり!
ただ眺めるよりはマシかもしれないが、背景にあるものは何一つ得ることはない。
点と点が線でつながることはないから、結局、テストではできない。
その繰り返しで、嫌になる。
やーめた。
昨日も「英語ができない」から、もう諦めて他にかけるという子。
ほほぅ。
入試まで半年もあるこの時期に、100点分を諦めるのか。
(公立なら5教科500点満点の5分の1)
そういっている間に、教科書を読む、テキストを読む、問題を解く、やれることはいくらでもあるのに。
昔は「読み書きそろばん」と言ったものだ。
読むことは学ぶことの基本中の基本。
まずは眺めるのではなく読むことから、その姿勢から改善していきたい。
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