社会生活を営んでいく以上、様々な「制約」を受け入れながら生きることが必要になる。
「スマホに制限がある生活なんて無理、考えられない」と言う子たち。
だけどね、「制限」と言われるとマイナスなイメージかもしれないが、
実は社会性を身に着ける上で、非常にプラスに働くことが多いんだ。
例えば、「スマホは1日1時間以内」と制限されたとする。
そうした場合、「スマホは1時間以内を前提」とした生活をするようになるよね。
すると、どうやって制限時間内に必要なことを済ませるか、考えるようになる。
よく考えれば、子どもたちだっていろんな制約(決まり)を受け入れて生きているでしょ。
例えば学校の登校時間。
「8時20分に着席完了」という物理的ルールがあるから、
その時間に間に合うように起きて、支度して、家を出るよね。
でも、そのルールがなくなる休日は「ダラダラ」しちゃう子が多くなるし、
まして夜は何の制約もなければ、夜更かししてゲームにスマホにやりたい放題。
ほら、制約のない生活ってマイナスが多いでしょ。
休日や夜は物理的な制約を与えにくいから、
家庭内でソフト面の制約を作って親がしっかり管理する必要がある。
よくある話は、習い事とかで「忙しい人ほど成績もよい」ケース。
習い事と言う「物理的制約」によって、1日の行動が決定されていく。
1日の中で多くのことをする前提で行動するから時間管理ができる子に育つ。
そして同時にマルチタスクに耐えるだけの体力がついていく。
いいこと尽くしじゃん。
そして、そういう忙しい子ほど、
自分から「忙しい」とか「時間がない」ということは言わない。
(これって、大人だってそうでしょ?
忙しいと評される人たちって、どこか余裕を感じる…)
だって、周囲から見れば「忙しい」ように見えるけど、
本人にしてみれば「当たり前」なんだから。
要するに「当たり前」のレベルが高いところにあるってこと。
それに、言った瞬間に言い訳にしかならないことをわかっている。
そういう子は「なんでもできる類まれな子」と称賛されがちだけど、
第三者として冷静になってみれば、「そういう環境を与えられ育った子」というだけだ。
そういう意味で「毎日塾がある」という物理的制約は、
一定の成果につながりやすいはずなんだ。
と同時に、忙しい状態が続けば、
スマホの使用時間というような「ソフト面の制約」は自然とかかっていく。
だから、「忙しすぎる」とか「時間が足りない」と感じることはかなり減るだろう。
あとは、休日や夜中の生活習慣を家庭でしっかり管理できれば、
今だけでなく、大人になってからの社会生活も困ることなく営めるようになる。
子どもは忙しいくらいがちょうどいいというのは、
こういうところからもきているのかもしれないな。
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