【自己肯定感を育てる】苦しいときこそ自分が試される

塾での指導

修学旅行の前後に塾を休む子が多いという話をしたが、これについて、「理解不能」で仕舞うのではなく、きちんと僕の意見を書いておこうと思う。

また、「そんな根性論を」とか「昭和の発想だ」とか言われるかもしれないが、僕はそういう発想で、これらを考えているわけじゃない。

昭和だろうが平成だろうが令和だろうが関係ない話だと思っている。

まず、修学旅行などの学校行事があっても、塾に来れる時間があるのであれば、そこは「いつも通り」に授業に参加してもらいたいと思っている。

「学習は日々の積み重ねの先にあるから」

とか、月並みなことが理由ではない。そんなことは、大前提なのだから。

人は生きていくうえで、「心身の好不調の波」というのは誰しも経験する。

好調な時は何でも前向きに取り組めるだろうし、ここに言及する必要はない。

しかし、不調の時はどうか。

「今日は疲れたなー」
「悲しい出来事があったなー」
「ちょっと気だるいなー」

そんな時こそ自分が試されているんじゃないだろうか。

確かに、
疲れて集中もできないのに塾に行って勉強しても…
と思う人もいるかもしれない。

しかし、ほんのわずかでも、可能な限り「いつも通り」に机に向かう、そのことに大きな意味があるんじゃないか。

その日の学習効率は至って良くないかもしれない。

しかし、「疲れていても塾に行って勉強を何とか頑張った」という、「自己肯定感」を育てることにつながっていくはずなんだ。

よく、トップアスリートがインタビューで言うじゃん。
「日々の練習とか苦しい事ばかりだったけど、それを乗り越えてこられてよかった」
みたいなこと。成功者は、こうして自己肯定感を育てながら大きくなっていく。

僕が忘れられないのは、
アトランタ五輪の女子マラソンで銅メダルに輝いた有森裕子選手が、
インタビューの際に涙ながらに発した言葉だ。
(有森選手はバルセロナ五輪の銀メダルに続き2大会連続の表彰台だった)
「はじめて自分で自分を褒めたいと思います」

僕たちには見えない、想像を絶するような物語があったのだろう。
決してカッコいい言葉じゃないかもしれないが、多くの人々が感動したのは、有森選手の言葉に、それまでの人生総てが凝縮されていたからだろう。僕はそう思っている。

ちょっと疲れたから休む、明日の朝早いから休む

そういう心身の無理を強いない、いわば「ゆとりだらけ」の生活から、
「自分は苦しい時も乗り越えてきた」という経験を作ることは難しい。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」って言葉もあるけど、
これはたんなる根性論・精神論じゃなくて、
「今その時」ではなく、「その先」を見た時に、
人の心を豊かに育て上げていくうえで、より理に適っているということだと思う。

僕もこれまで20年以上この仕事をさせてもらっているが、「成績上位者」や「飛躍的に成績が伸びた」生徒は、ほとんど欠席しないという共通点があることは事実だ。

逆に、欠席の多い子は、「いざ」という時に風邪をひいたり、インフルエンザになったりして、力が出ないケースがとても多いというのも事実。

日々の小さな踏ん張り。

この繰り返しの先に、「ここぞという時に力を発揮できる」人に育つものだと思っている。

試験で良い点を取るとか、受験で合格するとかは、そういう踏ん張りの先にあるもの。

だから「強くてしなやかな心」を育てることが大切なんだと。

そういう思いでこの仕事をしているから、簡単に「休む選択」をしてもらいたくない。

何度も言うが、これは単なる「根性論」「精神論」の話ではない。

子どもたちの将来を見据えて生きる上で大切な「自己肯定感」をいかに育ててくかという話だ。

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