「使えない東大生」が話題になっていたからちょっと読んでみた。
デイリー新潮の記事↓

記事を読んで、講師になりたての頃に、先輩がよく同じようなことを言っていたのを思い出した。
もちろん、全員じゃないけど、「東大」というブランドにあぐらをかいちゃう感じの人が一定数いるって。で、塾講師にエントリーしてくる東大生はそういうタイプの割合がとても高かったらしい。だから、先輩はよく「東大の講師は使えない」とか言っていた。
ただし、この記事を読んで、僕が納得したポイントはここじゃない。
”基本的には「大学ランク」と「学生の質」は驚くほどに一致する”
というところ。
僕は「学歴は関係ない」は「大嘘」だと思っている。
むしろ昔以上の「超学歴社会」であるとね。
——以下引用——
大学の就職課の指導のあり方などにより多少の誤差はあるが、一般的には大学のランクと学生の就職活動の質は驚くほどに一致するのだという。
それは、筆記試験の点数の高さや学生時代に複数の資格を取得しているといったことだけによるものではない。単純な行動量の多さや、無難な服装や髪型を選ぶ常識、面接時のそつのない受け答えなどにおいても、「学歴はやはり正直だ」というのが、「社会に出たら学歴は関係ない」という建前の裏での採用担当者たちの共通認識であるとのことだった。
まぁ、至極当然なのかもしれないけど、読んで改めて納得する感じだ。
要するに、「常識力」「教養力」「コミュニケーション力」これらが高い学生(=即戦力)を企業は欲しがっているけど、これらは出身大学のレベルに一致するってことだ。
大学全入時代と言われ、希望すれば「大学生」を名乗れる社会。
しかも、就活も「売り手市場」になっていて、転職も自由にできる風潮。
退職代講が流行る時代だ。
企業側は、「終身雇用」を望んで採用活動ができない。
それならば、入社1年目から戦力になる人材(=即戦力)を採用したい。
当たり前の論理だよね。
そういう社会では、「大卒」という手形は役に立たない。
「どこの大学卒なのか」が問われ、「その大学で何を学んで経験したか」が問われる。
そんな時代だ。
そして、日本企業で重宝されるのは「東大生ではなく明大生」の話。
——以下引用——
もちろん業種にもよるのだろうが、一般的な話として、ただ頭がいいだけの人間よりも、変なプライドがなく素直でコミュニケーション能力にすぐれた人材のほうが、組織秩序を重んじる多くの日本企業では大事にされるということなのだろう。東大卒で地頭がよいうえに、社会性があり、素直で、コミュニケーション能力の高い人材はもちろんいる。そういう人は最優先で採用されていく。
一方で、東大卒といっても、学校の勉強以外のことではろくな教育を受けておらず、協調性に乏しく日本型の組織になじめない人も少なくないのだった(それがいいか悪いかはまた別の話である)。
これも至極当然。
もちろん、「勉強が第一」という視点は崩さずに、
記事にあるような「東大までの人」と評されることのないように、
「勉強だけできる」のではなく、
「生きる力」(要はコミュニケーションや基礎教養力)を高めることが重要だ。
ね、学歴なんて関係ないは大嘘でしょ。
むしろ、昔よりも学歴社会だと言って過言じゃない。
この流れは今後も加速していくだろう。
今の子どもたちはそういう時代を生きていく。
この視点を、マインドを、できるだけ早期から植えつけていくこと。
だって、この世界にはフライングはないんだからね!
コメント