今年の新中1と新小6は、これまで以上に学力的に不安定というか、危険な香りがプンプンする学年だ。
ここには『この学年特有の事情』が影響しているように感じている。
これは保護者は知っておいてほしいと思う。
僕の恩師は、数年前に小学校の校長を歴任し2年前に定年退職を迎えた。
今も小学校での教育活動に携わっているんだけど、その恩師の言葉。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「新小6は本当に難しい学年」
「校長として何もできなかったことに悔いが残る」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
新小6の子たちが入学した今から5年前、2020年の春。
みなさん覚えているだろうか。
コロナ感染が急速に拡大して、国が出した決断が
「全国一斉休校」
だった。
入学式も始業式もない。
小学1年生の4月は、子どもたちを「小学校」という”社会”に馴染ませ、「学級づくり」をする上で、最も重要な1か月。
しかし、そこが休校になった。入学したての子どもたちに、オンライン対応など無力だった。
休校が終わっても、分散登校によって「学級」という1つの”社会づくり”ができずに1学期を終わることになった。
これは当時の小学2年生にも言えること。
やはり「低学年の春」は学級運営が難しい季節であり、ここで社会のリズムに馴染ませられるかどうかで、その1年の成果が大きく変わるのだそうだ。
つまり、新小6と新中1は、小学校低学年の春に十分な学級づくりが出来なかったことが、
子どもたちの「学力」や「運動能力」、大きく言えば「社会性」を育てる上でも影響が大きく、格差も激しくしてしまったというのだ。
小学校の現場で子どもたちの姿を見ていた教員ならではの視点だし、コロナ禍に小学低学年の時期が重なったこの2つの学年が、あまりにもそれまでの学年と様子が違い変化を感じたそうだ。
それを裏付けるように、低学年で定着させるべき「基礎計算能力」や「言葉の知識」など、学習の土台となる部分が非常に不安定だ。
小5の漢字は書けるのに、小2や小3の漢字を書けないとか、当たり前のように起こっている。
塾通いは「学校に慣れてから」とか「入学して様子を見ながら」とか言っている場合じゃないよ。
勉強にフライングはないし、まして、他の学年と比べたら、全員が遅れてスタートしたようなものだ。
早くからそれに気づいて手を打っている人とそうでない人には、この5年,6年で明らかに格差が生じただろう。
気づいたのが今でも構わない。時間がたって「手遅れ」にならないうちに、打てる手はどんどん打っていってもらいたい。
コメント