今日の「入学許可候補者の発表」、受験した子たちにとってはさまざまな思いが駆けめぐったことだろう。
千葉県の公立高校入試では合格発表ではなく「入学許可候補者の発表」としているが、「合格発表」としないところに公教育の良さ?みたいなものを感じる。
つい使ってしまうけど、「合格発表」って言葉、どうなんだろうね。
わかりやすいけど、「不合格」と言われればどうしても聞こえが悪いし、先のことをポジティブに考えるのが難しくなる。
「許可候補者」となった人にも、そうでない人にも伝えたいことがある。
僕は「神様」とか信じていない人間だけど、「天命」とか「宿命」とか、そういうのはあるように思う。
まず、「入学許可候補者」になった人へ。
おめでとう!願いが叶って本当に良かった!
今回受験した「行きたかった高校」で3年間を過ごすことが、「あなたにとって最良の結果をもたらす道だ」と天命が下ったということ。
しかし、人生はここで選ばれてゴールじゃない。
この先の人生はまだまだつづく。
「行きたかった高校で3年間を過ごすことが、あなたの未来を明るくできるよ」
それを天が認めるから「行きたかった高校から選ばれるために行った努力」をこれからも継続しなさい、との命がおりた、そういうこと。
「行きたい高校で3年間過ごすこと」=「天命」
というわけだから、自分の思いと天命が一致した幸せな結果と受け止めて前に進んでいこう。
そして「入学許可候補者」になれなかった人へ。
こちらの方が重要なメッセージだ。
これは、
「あなたにとって最良の結果をもたらす道は『行きたかった高校』にはありません、別の道を案内するからそちらへ進みなさい」
という天命なんだ。
つまり、天はあなたに「味方をしなかった」わけではなく、「この先のあなたの人生のために」今回の命を与えてくれたんだ。あなたに味方をしたからこそのものだ。
どうしても残念に思うのは「行きたかった高校」を天が承認しなかったからだろう。
だが、そのおかげで、「進む道を間違えずに済んだ」と考えた方がよほど前向きだ。
高校受験で「選ばれなかった」ことは、最終的にはあなたにとって幸をもたらす。
そう信じて、天に与えられた環境で「今を存分に生きる」ことを体現してほしい。
そうすれば3年後、「高校受験で選ばれなくてよかった」と思えるようになっているはず。
人生のゴールはどこにあるか誰にも分からない。
けれど、若いうちには「節目」としてのステップが用意されている。
次の節目は3年後。その次は4年後。その後の「節目」は自分で決めることになる。
この入試結果がどうであるにせよ、3年後の春がまた君を彩ってくれるはずだ。
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