と思っている。
今は受験までWEB発表が主流になってしまった。
大学入試は多くの大学で掲示による発表をとりやめているし、私立高校でも願書の受付から発表までの一連の流れがWEBで行われるようになった。
WEB出願にWEB決済にWEB発表。
当日の試験以外は何もかもがWEBで完結するんだ。一見便利と思うけど、やっぱり味気ないと思う。
高校受験は、子どもたちがひとりの人間として、大げさに言えば「生き方」を自身で選択できる最初の機会だ。
そこには人間の襞というか、極めて繊細であり尊ぶべき精神が宿っている。
それを、クリックひとつ?
いや、タップひとつで終わらせていいものか。
文明の利器は生活するうえで必要だけど、頼っていいところとそうでないところがあるように思う。
大切なその瞬間を刹那を、表面的で味気ないものにするこの現代が、子どもたちをよりドライに仕立て上げているのではないか。
まぁ、ここで吠えても仕方ないから、もういい。
ただ、しかし、だ。
全国的に高校受験でも掲示の発表が消えゆくこの時代にも、千葉県の公立高校は、ありがたいことに掲示発表を続けてくれている。
やっぱり見に行くべきだ。
合格者の最後の1人は、発表当日の朝(職員会議)に決まるという話も耳にする。
そこから9時の発表に間に合うように番号の確認や印刷をして、受験生の待つ掲示板で発表されるというわけだ。
発表の直前からその瞬間まで、独特の緊張感がある。言葉では名状しがたいとはこのことだ。
そして発表された直後に沸きあがる「感情」は自分だけのもので、誰とも共有できないものだろう。
そして、周囲を見渡す。
胴上げをされる(東大か!)子がいる
大きく吠えて抱き合う子がいる
自分の受験番号を写真に収める子がいる
泣いている子がいる(けれど、悲喜のどっちかはわからない)
ただただ掲示板を見つめ続ける子がいる
うつむいて足取り重く学校を出る子がいる
そのひとつひとつが十人十色の人生だ。
それを目に焼き付けてほしい。
で、自分の現実と照らしてほしい。
すると、そんな自分を見つめる誰かがいるかもしれない。
社会に、自分自身に、その身をさらす。
そして時がめぐることを肌で感じ、新たな旅がはじまっていく。
こんな風に生じる感情が15歳の春がきみを彩ってくれるんだ。
ここまで味わい尽くす、それが僕の考える高校受験だ。
そこから得られる目には見えない力、それこそが人としての強さであり、やさしさにもなる。
僕はそう信じている。
「合格」「不合格」という結果以上に尊い何かを、明日の発表でつかんできてほしい。
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