【遅きに失しないで】入塾時期の最適解とその理由とは②

塾での指導

前回の記事に続いて2つめ。

通塾は学校のように義務じゃない。
だから、『学校に慣れてから”プラス”しよう』と思うのかもしれないが、これはむしろ逆のはず。

子どもたちは「義務」以上の「新たな負担」を忌避する傾向にある。
殊に塾は「勉強」する場所だからなおさらだろう。

学校に慣れてくるころには、取り返しのない差がついていて、気がつけば1学期の定期テスト。
『思った以上に成績が悪い』
となって、慌てて塾を探して、できるだけ近所で受け入れてくれる塾にとにかく入れる。

『遅きに失した』というのはまさにこのこと。

ちなみに、大抵の塾はよろこんで受け入れてくれる。だから探すのは困らない。
むしろ『もう遅いです、今からは受け入れません』なんて気骨な塾を探す方が大変だろう。

だけどね、これは集団塾あるあるだけど、
周りに追いつこうと必死に走っても、周りが止まって待ってくれている訳じゃないから、倍速以上で走り続けることが求められちゃう。
イメージとしては、当然、授業時間だけじゃ追いつくことは難しいから、授業以外にも追いつく努力が必要になる。いろんなツールはあっても、やるのは子ども自身。
さらに、大手塾の場合は、たぶん大したフォローもないから、塾の授業は「サッパリわからん!」ってなる。
プラス進研みたいな個人経営の塾の場合は、それでも「やらせていこう」と毎日でも塾に来させたり、とにかく「勉強させる」ことに注力する。

どっちにしても、そりゃ、疲弊するよ。途中で心折れるよ。
ましてそれまで勉強から逃げに逃げてきた子どもなんだから。

そうした中で生き残れるのは、
・できないと諦めて?漫然と塾通いできる子(=それでもいいと割り切る家庭)
・我慢強く勉強を続けられる子(=勇気づけられる家庭)
のいずれかだろう。

ただし、前者が通塾から得られることは何もないことは明らか。

そんなこんなで「集団塾」じゃ手遅れ(向かない)だからと、看板だけが有名な「個別指導」の塾にすがりつくことになる。

これはもう「負のスパイラル」に陥ってる。

「お子さんに合わせた特別なカリキュラム」という謳い文句に感動?して支払う高額な授業料。
中身は、週1?週2?の『ゆるゆる・スカスカなカリキュラム』でどうにかなると本気で思います?
まぁ、定期テストレベルではその場しのぎでどうにかできても、受験となれば簡単じゃない。

それに、この手の塾って
もうね、はじめから「周りに追いつかせる」なんて気持ち、サラサラないのよ。

「お子さんに合わせて~」なんて、甘いこと言ってる場合じゃない。
まともな塾の講師なら、そんなこと「痩せたいなら運動せよ」くらいの常識として考えてるはず。

だから、本気で「追いつかせよう」と思うのであれば、授業の有無に関わらず、毎日塾に呼んで勉強させるだろう。本人がどう感じようが妥協せず継続を強いるはずなんだ。
「遅れを取り戻す」ってのはそういうこと。甘くないよ。

しかし、それはやらない。
いろんな理由をつけて現状維持でOK!塾に来ないよりはマシなはず!ってしちゃうんだ。
で、子どもの管理もままならないお気楽大学生に「よろしく!」って丸投げ。
本気でがんばらせよう、追い付かせようなんて心意気、感じないよね。

そんなことお構いなしで、子どもは塾に通う。たいして嫌がるそぶりもない。
塾に行けば、自分と同じようなお友だちがたくさんいるからね。
年が近い大学生のお兄さんお姉さん先生と、歓談しながら勉強できるからね。

ね?
これぞ「負のスパイラル」でしょ。
得られることは、勉強したくない者同士が集まってワイワイした思い出か。
保護者が得られるものは、「子どもの夜の社交場」に大金をはたいた教訓か。

なんだかんだ言って長くなっちゃったけど、
子どものことを本当に考えるなら、塾には新学期に先駆けて入ることを勧める。
早くスタートするということは「継続」の時間も当然長い。これは勉強の素地にも好影響。
生活の一部に「塾」を馴染ませておく。これが大きな負担なく継続できる近道だ!

子どもの適応力は思っている以上に高いから、それを信じてまず頑張らせてみるが吉。

これは、プラス進研に限らずどこの塾でも同じことだよ。

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