普段、子どもたちに「ブログを読んでほしい」とは思っていないんだけど、この記事は読んでくれていいかな、と思う。入試前日、そのくらいの余裕も欲しい。けど、この記事だけね。
いよいよ明日は公立高校入試の本番。
いろいろあったと思うけど、無事に明日という日を迎えられること、
受験勉強の日々を振り返って、今一度、感謝の思いも合わせて受験会場へ向かってほしい。
もちろん、当事者である受験生は、よく今日まで戦ってきた。
しかし、その姿をあたたかく見守ってくれた、家族はじめ周囲のさまざまな人たちが、
受験生とともに、今日まで戦い抜いてきたはずだ。
だから、毎年のように話しているし書いてるけど
「合格したい」強い気持ちと、「感謝」の心を持って挑んでほしい。
さて、試験が終わってから、発表があってからは言いたくないことを書こう。
それは、『たかが高校受験、されど高校受験だ』ということ。
まぁ、「高校入試は通過点」っていつも言ってるけどね。
仮に、今回の受験が不合格だとしても、そんなことで大きく人生が傾いてしまったり、
すべてがダメになったりすること、あるわけがない。
だから、心のどこかに『たかが高校受験』という気持ちを持って挑んだ方が良いと思うんだ。
しかし『されど高校受験』。
これからの長い人生。
仮に今回の受験がうまくいかなくても、いくらでも挽回できる。
むしろ、不合格から学ぶことってとても多く、それらを人生の糧にできるはず。
不合格の1人がいて、1人の合格が生まれる。不合格は非常に尊い。
だから『たかが高校受験』で終わらず『されど高校受験』ということも忘れないで欲しいと願う。
大人ならみんなわかってるよね?
経験済みだよね?
だから、余計なプレッシャーになるような応援もいらない。
とにかく『いつも通り』
『いつも通り』と念じること自体、『いつも通り』じゃない訳だけど、
これを言い聞かせなければ、人って突拍子のないことができちゃたりする。
(朝ごはんは作ってもらわなきゃ困るけど、いつも通り?)
お母さんも寝坊しちゃった!くらいに構えていてもらいたい。
そのくらいの気持ちの方が、心に余裕もできるし、力も生まれるもんだ。
それと、『失敗』って何だ?
挑戦しきれなかったり、本来すべき努力が不十分であったことを言うんじゃないか?
『不合格=失敗』ではないでしょ。
受験の成否は、合否とは必ずしも一致しない
これが僕の持論だ。
何度も書くけど、合格の喜びを味わう価値は言い尽くせないかもしれない。
しかし、十分に努力して挑戦した結果の不合格なら、そこから学べることはもっと言い尽くせない。
だから、人はみな『たかが高校受験』に対して、日々全力を注ぐ。
一生懸命に努力を積み重ねる。
その行動の積み重ねを通して、みんな大きく成長できるのであり、
本当の意味で、自信や誇り、厳しさや優しさというものを持つことができる。
そして、一生懸命頑張った者だけが、
本当の意味で成長や喜びや感動を味わえるんじゃないかな。
僕がいろいろな場面で使う『9勝6敗』というのは、
単純に6敗してもいいということじゃない。
心して挑戦した結果の6敗に大きな価値がある。
だからこそ、
9勝にはそれを上回る成長や喜び、未来への希望をもたらす力が宿るという意味だ。
中3生はこの1年、いや、この15年という歳月をかけて、沢山のことを学んできた。
明日の『たかが高校受験・されど高校受験』でその成果が試される。
けれど、それはあくまでも、生きている限り続いていく「学習」の途中でのこと。
みんなの健闘を、そして幸運を祈る!
Good Luck!!
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