【思い出話】志願変更のおもひで1(つづき)

思い出ばなし

前回の続きを書こうかな。

合格したときは気分良かった。これは本当に。

彼はある意味ヒーローだったし、美味しいところを全部持って行った!みたいな。

それに、塾が背中を押して合格した!というのも、塾講師冥利に尽きるというか、僕の心も満たされたね。

彼が高校生になって、特別に連絡をとりあったりはしていなかったけど、「便りがないのは良い便り」ということで気にもしていなかった。
それに、当時はスマホとかじゃなくケータイの時代(中学生は持ってない子も多かった)だったし、講師と生徒が個人情報を交換するのは、卒業生でも御法度だった。だから、卒業後に遊びに来てくれたりしなければ、様子は噂程度にしかわからなかった。

彼が高校2年生の終わりに、僕は小金原教室の教室長になることが決まって、それを知った彼と当時の仲間3人で会いに来てくれた。

2人は制服、彼は私服(当時の小金高校は私服だった)で。みんな僕より背が大きいから見下ろされる感じでね笑

彼はちょっとすました感じで、『大人になったなぁー』くらいにしか考えなかったんだけど、後々考えてみると、ちょっと元気がなかったなーって。

それが彼と会った最後になってしまった。

仲間たちともマメに連絡しあう子でもなかったけど、あの日を最後に音信不通。

聞くところによると、高校にあまり行けていない?大学受験で詰まっている?などなど、心配な情報が耳に入るばかりで。誰にもわからなくなってしまった。

それこそ、最後に会った時は、僕に菓子折りなんか持ってきてくれて、元気に通ってますアピールをしていたのだろうか。たしかに元気に見えたかと聞かれると言葉に詰まる。

よくよく考えれば、無茶な受験をさせてしまったことも事実で、表面的に偏差値が伸びたことで、「受けちゃえ!」みたいな空気になったことも否めない。

受験って勢いも大切だと思う。けれど、中学校の先生が止めたりしたことの背景までよく考えることができたかと言うと、ペーペーの自分には自信がない。

それに僕は、彼の授業を1教科しか担当していなかったから、適性を見極めることもできていなかっただろう。

さらに、彼の学年は上位の子が私立単願になって、東葛飾や県船橋を受ける子はいなかったし、当時の風潮的に「実績が欲しかった」というのも否めない。(僕も昔は『合格実績』がすべてだった)

しかし、子どもたちは僕たちの商売道具じゃないという当然のことに気が回らなかったのではないか。もっと見るべきものがあったのではないか。彼らの人生は高校に合格して終わりじゃない。

ちなみに、この翌年からは受験生と関わる時間も増えて、子どもたちの様子を観察しながら進路のアドバイスができるようになった。(ちなみに、翌年の方が大事件があったけど、これについてはまた後日。)

それもあって、なんとなく彼を勢いで受験させたことは、なんとなく胸をざわつかせていた。
そして悪い予感が的中してしまった。

彼は今頃どうしているのだろうか。

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