この週末、志願変更をするかしないか、迷った受験生も多いんじゃないかな。
もしかしたら、迷って決められていない子もいるかもしれない。
僕は、初めて自分に決定権のある人生の岐路だから「迷うこと」はとても尊いことで、迷うだけ迷えばいいと思うし、むしろ悩むべきだ。だから僕は平気で迷わせることをする。
ただ、迷いは「深く」「一瞬」(できるだけ短い)方がいいとも思う。
ダラダラ迷っていても、勉強に手がつかなくなるし、何よりも気を逸するからね。
プラス進研の受験生は、あらかた方向性が固まっている。
去年は迷いに迷った子もいたけど、今年は(迷いがなかったわけじゃないが)芯の強い子が多いように感じた。その点はたくましい。
で、僕が大切にしているのは、迷うときに「現実を受けとめさせる」ことだ。
これね、賛否両論あると思う。
でも、指導者として、楽観的に「きっと大丈夫だよ、受けてごらん」なんて、口が裂けても言えない。
これは、大手塾が「実績稼ぎ」のためにとる所業だ。そりゃさ、”数打ちゃ当たる”よ。
けどね、個人塾じゃそんな「数」はないし、実績は結果として出ればうれしいけど、そんなの受けた「子どもの実績」で、僕の実績とは言わないでしょ?って思う。だから、実績を期待するなんて今の僕には皆無。20年近く前にどっかに置いてきちゃった。
むしろ、「きっと受かるぞ!勇気をもってエイエイオー!」なんて、そんなこと言うのは無責任甚だしいし、僕の哲学ではもはや犯罪レベルにありえないことよ。
話は戻って、プラス進研では受験生に「個別最適化」がなされた、1枚の記録表を渡している。
そこには、模擬試験や過去問の結果などに、志望校への合格可能性「〇」「△」「×」がつけられている。
過去問や予想問題を実施するたびに更新されるから、数字はどんどん揺れ動く。
自分が「合格」に近づいているのか、はたまた遠ざかっているのか、一目瞭然。まさに「生きた帳票」だ。
だから、これを渡されたら、否応もなく「現実」を突き付けられるというわけだ。
直前の模擬試験とこの記録表、そして、先日出た志願倍率を見ながら、受験生全員とひざを突き合わせて話す。これが、小野田がブログにも書いた「お告げ」。
ただ「お告げする」だけじゃないよ。目的は「本人の意思や希望」を確認するためだから、子どもたちからもできるだけ思いを聞き出す。
それをもって、僕は「何を話すか」を”一瞬”で決定し、「現実」を言葉にして、あらゆる選択肢を出していく。
そこに甘えとかは一切ない。目の前に「記録」があるのだから、根拠もなく「大丈夫」とか言えるわけがないからね。
今年はギリギリ合格できるかな…という子が非常に多い。
いわゆる模試の「B判定」(合格可能性60%)というやつだ。
2回受ければ、1回は合格するってことなんだけど、残りの1回になったらどうしよう…と思うのは子どもの感情として当然だと思う。
記録表では「〇」も「△」も「×」もすべてある。要するに、その日の出来不出来に大きく左右されてしまうということ。倍率が高ければなおのこと心配。
その場で決断を迫るなんてことはしないけど、倍率が出てからだから、迷うにしても、志願変更期間までという「時間制限」がある。これがいい。
人生選択という意味では何の経験もない15歳の選択だ。
悩むにしたって、過去の経験による裏付けとか、そういうものがないのよ。
だから、その時、その瞬間の選択が「正解」だと信じて、進むしかない。
で、大人になった時、あの選択は「あーだった」「こーだった」と語り草にできるくらいでいい。だって、それが人生だもの。
だから「迷う」ことは非常に尊くて、「一瞬の深い悩み」を持つべきだと思う。
悩みの深さは、人それぞれに違えど、「現実と向き合い受け入れる」ことで、本当の意味で「覚悟が決まる」し「骨太の人生」を歩めるんだ。
今は「褒めて伸ばす」時代だそうだ。これは、正解でもあり不正解でもある。
本当に強い人やチームは、「褒められて」ばかりではなかっただろう。
例えば、青山学院大学の駅伝監督の原晋さんなんかは好例なんじゃないかな。
テレビでは「前向きに子どもをはげまして」いるイメージが強く、「楽しくやろう!」みたいなキャラクターの印象が強いけど、見えない部分(練習や日常生活)はかなりストイックであると有名だ。
学生たちは、何度も「現実」を突き付けられ、「叱咤激励」を受け、厳しい「生活管理」のなかで切磋琢磨しているのではないか、だから本番であれだけの爆発力があるのだろうと思っている。
箱根駅伝当日。選手の後方で、原監督がマイクを握る。
ここでは一切、厳しいことを言わず、むしろ子どもたちが乗れるような声がけに徹する。
このアメとムチが、魔法の力のように作用するのかもしれない。
でも、これって、よく考えれば当たり前のことで、
受験前日や当日になって、「実力では不合格だぞ、しっかり受けてこい」って言う指導者はいないでしょ?さすがに僕だって言わない。
これまでの苦楽があり、現実を受けとめ続けてきたからこそ、最後の「アメ」に絶大な効果が生まれている。
中学生にそれは厳しいのか?
いやいや、そういう「現実」を受け入れて、「自己決定」して進学した子たちは、進学した高校がどこであってもきちんと結果を出しているよ。
そういう意味で、高校はどこでも変わらない、自分次第と思うわけだ。
現実を受け入れられなければ、何も変わりはしないんだ。
これが僕の信念であり哲学だ。
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