僕が子どもの頃、仲秋の名月の日には必ず「お団子」と「ススキ」を和室に飾って、お団子を美味しくいただいたもんだ。
お団子はピラミッド型に積んであって、頂上は満月をモチーフにした黄色いお団子。黄色いお団子をいつ食べようか、子ども心に悩んだ記憶がある。なつかしいね。
こんなことを思うと、僕はそこそこに情操教育の中で育てられたと実感する。これは母に感謝である。毎年ではなかったと思うけど、母が白玉を粉から作ってくれたこともある。
ちなみに、お月見がイベントとなったのは平安時代の頃からだという。当時は貴族のイベントだったようだ。
そして、江戸時代からは団子を供える習慣が定着した。
仲秋の名月の時期にがちょうどお米の収穫時期に重なっていたため、お米の粉で月に見立てて作った団子を供え、お米が無事に収穫できたことに感謝し、次の年の豊作を祈願したということだ。
当時は、月が信仰の対象であり、月神である月読命(つくよみのみこと)が農耕の神でもあったためらしい。
子どもの僕は、こういう意味までは理解できていなかったけど、大人になった時にきちんともいでとして残っていることが大切だと思う。大人になればこうして意味まで理解できるようになるしね。
最近は「国民の祝日」や「季節の行事」を答えられない子どもたちが増えたと思う。これは残念でならない。
そういうことは、親が年間行事として子どもの心に残るように仕向けていくことが必要だと思う。
仕事をしているから忙しくてそんなことしていられない?
これは理由にない。僕の両親だって、僕が幼稚園に通っている頃から共働きだった。
そういうことを大事にしようとするかしないか、気持ちひとつ、価値観ひとつの問題よ。
もうひとつ残念なのが、スーパーとかでお団子を買っても「団子だけ」でつまらないことだ。
昔は、お団子を購入した人に「ススキ」を配ったりしていたもんだ。
そう考えると、社会全体で心豊かに子どもを育てようとしていたようにも感じるな。
うむ、今夜はお団子を食べたくなってきた。買って帰ろうかな。
コメント