これはあくまでも僕の考えで、ある種の極論になるので読みたくない人は読まない方が良い。
ということは断っておく。
それに、塾は「官」でなく「民」である。
私立学校に自由な教育理念や主義主張があるように、塾にだってそれはある。
誰にでも迎合し、その場しのぎの風見鶏になってはならないのである。
まず、前提としてあるのは、
日本は「学歴社会」であり「競争社会」であるということだ。
これは、国内の有名企業の就職者数や難関国家資格の合格者数などを見れば明らかである。
トヨタやソニー,日立など、世界に誇るビッグカンパニーへの就職も、国家公務員のエリートである官僚も、学歴社会を生き抜いた者たちの主戦場である。
また、スポーツで一花咲かせたいというのだって、どう考えても「競争社会」だ。
先のパリオリンピックで活躍した選手たちはその競争を勝ち抜いた、いわば強者たちだ。
つまり、己の夢や希望を満たすためには、この「学歴社会」や「競争社会」を力強く生き抜いていく力が必要不可欠になるってこと。
そのように考えた時に、所属するために費用のかかる塾というものは「勉学の道でより向上意識の高い集団」である必要があり、
言い換えれば「学校の勉強ができた」(=人並み・偏差値50)で満足する人間には不向きということだ。
スポーツだってそうじゃないだろうか?
人並みに運動ができれば良いのであれば、なにもクラブチームやらスイミングクラブやらに費用をかけて所属する必要はない。学校の体育の授業レベルで十分だ。
その道でさらに活躍できる力をつけるため、競争に勝ち抜くために、そのような集団に身を置くのである。
しかし、塾に関してはそう思っていない人が多いんじゃないかと思う。
「学校の授業についていけなくて」「学校の授業が分かるようになれば」
そんな言葉を何千回と聞いた。
僕からしたら、「学校の授業」の問題は学校で解決してくれ(というかすべき)と思っている。なにも費用をかけるべきものではないだろう。
あらためて、塾というのは、
「学校の授業レベルにとどまらず、さらなる知的好奇心を刺激し、より高いところを目指す」
もしくは、
「より豊かなキャリアデザイン(人生設計)ができるようなアイテムを手に入れる」
ための場所。
僕はそういう気概のある子どもたちやご家庭のために塾を営んでいる。
厳しいと感じている人もいるかもしれないけど、僕のエネルギー不足により、厳しさが足りないと感じることの方が圧倒的に多い。
夢や希望を実現するためには、学校(公教育)が提供する一定レベルの授業(学習)では足りないから、塾で研鑽を積んで鍛えるということだ。
だから、授業内容だって課題だってそれらを意識した負荷がある。
(だからと言って、奇をてらった応用問題ばかりに取り組むというのではない。)
プラス進研に通うみなさんは、そこは勘違いしないでもらいたい。
そんなことを今日、暑い夜に、熱く、熱く、中2の授業で話した。
学歴社会とか競争社会とか、異論も出る話であろう。
しかし、この点で僕の主義主張が変わることは、100%あり得ない。
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