人間だもの、とか打ってたら、「人間なんて」(吉田拓郎氏)の詞がグルグルと…
人間なんてラララ ラララララ
人間なんてラララ ラララララ
何かがほしいおいら
それがなんだかわからない
だけど何かがたりないよ
いまの自分もおかしいよ
まぁ、タイトルとは表面上、何も関係なく見えるけど。
この詞が生まれた時代の若者(学生)たちって、エネルギーが有り余ってたんだろうな。
夢や希望を持ちたいのに、それがなんだかわからないし、現実社会では満ち足りない。
もどかしくて発狂したくなる。人間なんてーーーーー
カリスマ性が高い吉田氏は音楽界を牽引する存在に。そして、その後の自由を獲得した。
でも、やりたいことばかりではなかったと思うんだよね。
僕が尊敬する井上陽水氏も新聞のインタビューで、「とにかく自由が欲しかった」と述懐している。
そして、日本初のミリオンセラーLPとなった、アルバム「氷の世界」で自由に生きる権利を得たと。
しかし製作段階では、プロデューサーとの衝突が多く、「書きたい詞」を「書きたいように」では売れない現実と向き合うしかない形で、「書きたくない」詞も書いた。その最たるものが「氷の世界」の先行シングル盤でヒットした「心もよう」。
この曲、最初は「普通郵便」とかいうタイトルで、詞も幼さがあり、ほとんどを書き直させられたのだとか。まったく違う曲として仕上がった。「心もよう」というタイトルに変えたのもプロデューサーだったとか。
さらに、シングル盤を出す際に、陽水氏は当時親しくしていた忌野清志郎氏との共作「帰れない二人」をA面にしたかったのだが、プロデューサーはその曲の秀逸さを認めながらも、「売れたいんだろう? それでは売れない」と、書き直した「心もよう」をA面にすることを譲らなかった。
結果、なんとも皮肉な話だが、「心もよう」は大ヒットし、「氷の世界」のミリオンセールスにつながった。
つまり、「ヒットを出し、売れて、人生の自由を獲得する」というのは、そういうことなのであろう。
何が言いたいかわかるかな。
「やりたいこと」を実現する「自由」を獲得するためには、世の中に満ち溢れる「理不尽」だったり「苦悩」だったりと向き合って努力する必要があるということ。
「やりたいこと」だけをやっていても「自由」は獲得できないし、何も残さないってこと。
さらに、自分一人で何かを成し遂げている訳ではなく、そこには強力なサポーターだったり支援者、指導者(陽水氏にとっては、プロデューサーだったり、編曲家だったり)がいるということ。
成功するためには「やりたくないこと」や「苦手なこと」も要求される。
それとどう向き合い、どう乗り越えていくか。
タイトルにも書いたけど、人間だから「苦手」なことはきっとある。
でも、希望をかなえたいならば、そことどう付き合っていくか、すべては自分次第ではあるけれど、我慢強く向き合えるように、僕たちのような存在がある。
厳しいこともたくさん要求しているのだろう。でも、子どもたちの希望を叶えるのに必要だから要求するのだ。
要求のレベルを下げることは簡単だよ。しかし、要求のレベルを下げるということは「夢はあきらめてね」と言っているのに限りなく近い。
そこはちゃんと理解してもらいたいし、それを理解できた上での「自分次第だよ」と言っているのである。
今日はテストの日。合格点はもちろん満点。
採点する講師が興奮するような答案を期待したい。
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