今日の朝刊に入ってるある大手塾のチラシ。
本当に品がない。
表面(どっちが表かもわからんがね)は「春期講習」と「無料」「キャンペーン」
裏面は、柏教室単独の「合格実績」
中身が何もないよね。何も。
まぁ、「看板」と「合格実績」が中身だろうから仕方ないけどね。
だから、そもそも品がないけどそれに文句をつけようなんて思わない。
けどね、納得がいかないというか、
昔から、この手のチラシには嫌悪感を抱いていて、
最近になって、その理由がよくわかったんだよね。
だから、自分への戒めも込めてこの記事を書くことにした。
それはね、合格実績の出し方。
そりゃぁさ、「東葛飾」「船橋」「小金」大きく出したいのはわかるよ。
優秀な生徒がたくさん通ってくれて成果を出したんだから出せばいい。
僕だって、東葛飾が出ればひときわ大きく出してたしね。
だけど、なぜか昔から違和感があって
一部の上位校だけ載せて、最後に小さい文字で出てくる
「ほか、多数合格」
っていったい何なんよ?
って疑問。
①もしかすると「ほか多数」の方が多いんじゃないか?
➁分母がわからん、卒業生は何人いたのよ?
肝心なのは「進学先」と「率」じゃないの?
高校にだって、「合格」より「進学先」を求めるじゃん。
③合格者数と進学者数は違うよね?
数字を多く見せるには生徒の多い大手が有利なの当たり前。
ひとにぎりの優秀な子に頼れば、合格数はさらに盛り放題。
ってね。
ここまではずっと前から気づいていた訳だ。
しかし最近、東北地方のある個人塾さんのブログを読んで、
あ、そういうことか!って合点したんだ。
情けないながら、今更気が付いたという訳だ。
それは「ほか多数」に合格した子や家庭に対する配慮というもの。
自分たちがそれまで教え通ってきてくれた生徒が、
「行きたい」と思ってがんばって受験してもぎ取った合格に対して、
もう少しリスペクトがあってもいいんじゃないかと。
僕にもブーメランだった。
進学先こそ毎年すべて出してたけど、
合格先に「他」という表記を知らず知らずのうちにしていた。
(紙面の都合とか良い訳にしたとしても、それも工夫次第だし)
だから、その方の記事には脳天を殴られたような気持になった。
そして、個人塾は通っていただいている、1人ひとりの柱が太い。
要は、合格校が東葛飾だろうが小金だろうが、柏中央だろうが我孫子だろうが、
1人でも欠ければ、少ない太い柱の1本がなくなることを意味する。
つまり、簡単に経営も傾くってこと。
零細塾の経営者なら、持つべき当たり前の感覚が足りなかったという訳だ。
反省、いや猛省だね。
しかし、大手塾は1人当たりの柱の太さがちがう。
「ほか多数」という細めの柱が大量にあるから、1本を少し粗末にしてもビクともしない。
だから、そこまで深いことを考えたりしないかもしれない。
だけどさ、こうも言えるよね。
デカイ看板掲げられるのだって、
「ほか多数」の家庭が授業料を払ってくれているからでしょ?
って。
それに、「ほか多数」となった子たちの進学実績だって、
十二分に塾の指導の成果・実績と言えると思うよ。
塾の指導を受けて、「ほか多数の高校」に進学したんだから。
宣伝だし構わないでしょ?
って思うかもしれないけど、
宣伝だからこそ、きちんと出したほうがやはり親切。
がんばれば「東葛飾」も目指せるという夢と同時に、
塾に入ったら100%その学校に合格できるわけじゃない現実も見せる。
子どもを預かる現場の品性ってものも大事だと改めて思う。
自分たちが掲げたい進学先がどこであろうと、
ターゲットにしたい生徒層がどこであろうと、
塾として引き受けたなら、その子の成果も塾の実績に載せるべきだろう。
プラス進研も今後は、進学先だけじゃなくて合格校もすべて出す。
まぁ、毎年10名前後の小所帯だから、数はたかが知れている。
最後に、そういう謳い文句に乗せられて、「安心の大手塾」を選ぶなら、
そういう保護者は最初からプラス進研とは縁がないのだろう。
僕とは絶対に肌が合わないよ。
そして、「ほか多数」になって、デカイ看板を支えてあげればいいのである。
個人零細塾の戯言と思われても構わない。
僕たち零細塾は、零細塾にしかできないことで前に進むのである。
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