前回のつづき。
志望校を安易に下げない方が良い理由、最後の3つめ。
これは一言、『悔いが残る』からだ。
諦めた人が感じる
「あのとき、やっぱりチャレンジしておけばよかった」
という感情と
チャレンジした人が感じる
「やっぱりやめておけばよかった」
という感情。
どちらの確率が高いと言えば、明らかに前者。
特に公立高校受験は、受験後に「自己採点」や「得点開示」ができて、自分の得点を把握できるから、なおのこと感じるようだ。
最悪、高校に入学した後もしばらく引きずる子もいる。これはこれで問題だけど。
やっぱり、「やりきった」という思いを持ってチャレンジした方が、たとえ負けてしまったとしても得るものは多いと思う。
少なくとも「悔い」は残らないだろうし、諦めて勝つよりも、はるかに大きな財産になるはず。
だけど、安易な挑戦は無意味な負けを重ねるだけだからね。とにかく「やりきった」状態でのチャレンジ。勘違いは禁物ね。
これは前に「9勝6敗という絶妙なバランス」の中でも散々書いた。
私が子どもたちに高校受験を通して一番学んでほしいことは、「自分の思いを貫いて悔いなくやり切ることの大切さ」だ。そこから得られるものは非常に多い。
思いを遂げるために、「やれることのすべてを尽くして挑んだ結果」を受け止める、結果が負けでも、「負けを取り込む」強さを持ってほしい。
そして、思いを貫く過程で、色々な人の言葉に触れるだろう。それを聞く耳を持って、良く考えた上で貫いてほしい。
自分の人生だ。親や世間が何と言おうが、最後に決めるのは自分、それでいい。
ただ、いろんな意見、考え方があって、正解はないことだけは忘れてはならない。
そして、保護者のみなさんにも強く願う。
確かに、公立に落ちて私立に進学すると金はかかる。そりゃ、各家庭の経済事情もあるだろうが、それを理由にして、子どもに対して制限だけはしないでほしい。
子どもは親の気持ちも察しながら生活している。それなのに「公立じゃなきゃダメ」と言われては、余分なプレッシャーを背負わせるだけ。愚の骨頂だ。
今は国や地域の就学支援制度があって、昭和平成世代に比べれば私立に通うハードルもかなり低くなった。公立に進学したって、予備校に通えばまた相当な費用がいる。
「教育費は聖域」とはよく言うものであるが、その通りだ。「教育には金がかかる」くらいの覚悟を親のみなさんにも持っていただきたい。
だって、子どもの人生への投資だから。親は子どもにとってかけがえないスポンサーだ。
人生100年時代が近づいている時代だ。
15年目の受験で失敗しても、あと80年もある。
その後の80年をいかにしてより豊かなものにするか、勝っても負けても、「悔いのない高校受験」の中にはヒントが散りばめられているのだ。
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