志望校を下げない方がいいワケ<2>

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前回のつづき。

志望校を安易に下げない方が良い理由の2つめ。

それは、高校在学中の3年間で得る「友だち・仲間」という財産(将来の人脈)が与える、在学中のモチベーションと進路への影響。

ちなみに、ここでは勉強面の話を中心に書く。

これは特に公立高校で言える話だけど、公立高校に通う生徒層は、入学者の成績による横割りのイメージだ。

たとえば、偏差値55の高校に入学するのは偏差値52~58くらいの子がほとんど。そりゃ、間違えて?68の子が入学したり、45の子が奇跡的に入学することが0じゃないけど、それを言ったらキリがない。

とにかく、自分と同じくらいの成績の子しかいないという現実。

つまり、偏差値65の高校に入れば、そこでできる仲間は偏差値65周辺の子たちだし、それが偏差値60なら60周辺、55なら55周辺ということになる。

で、当然、偏差値が高ければ高いだけ、将来の職業だったり生き方も種々選べるから、大人になったときに様々な業界に人脈ができるね。

人間、最後は人だから。人脈は大事にしたいよね。同時に互いを高め合える仲間が良いよね。

仮に、自分の偏差値が60で、余裕を持って55の高校に入学したとする。

周りの子はみんな52~58くらいなので、もしかすれば、トップ争いに入れるかもしれないね。もしかしたら。

けど、現実そうでもない。

なぜって、そのうち、その環境に染まるから。

自分も徐々に同化していくから。

周りのレベルが自分以下であれば、自分を引き上げてくれる、モチベーションを高め合える仲間に出会える可能性は著しく低いよね。

で、そのうち、自分も周りの子たちと”どんぐりの背比べ”状態になる。

スポーツに置き換えて考えてみると、

『自分は野球部で甲子園に行きたい、そういう練習をして高めたい』

と思っていても、同じ野球部の仲間たちの8割以上が

『県大会で1回勝てるくらいでよくね?楽しけりゃよくね?』

くらいの熱量であったなら、ひとりで『甲子園!』と張り切って頑張れるだろうか?

自分一人だけが朝もはよから自主練して、夜もボールが見えなくなる限界まで自主練して、これを2年半続けられるだろうか。

テレビドラマとかじゃ、『ひとりの気持ちが仲間の意識を変えて…』みたいな夢物語があるかもしれないけど、あくまでフィクション。現実はそんな簡単じゃないでしょ。

フルマラソンの42.195キロだってそう。競い合うライバルがいてこそ、記録が伸びる。

みんなが2時間10分のペースで走っているのに、自分一人だけ2時間4分のペースで走り続けるって、相当大変。マラソン大会は、心が折れそうなとき、沿道の応援を味方にできるかもしれないけど、それもないとすれば地獄絵図だと思わない?

2時間4分を目標に走るライバルが複数いて初めて「自分も頑張ろう」って気持ちにより火が付く。要はモチベーションが上がる。大会本番だけじゃなく、日々の練習からモチベーションが上がるんだ。

だからね、『有名な大学に進学したい!』『MARCH以上の大学に進学したい!』とか思っているのに、偏差値55の高校に甘んじるとかあり得ないワケ。

あっ、『余裕を持って入学すれば”指定校推薦”とかで有利になる』なんて甘いこと考えちゃいけない。そもそも、レベルを下げれば下げるほど、指定校推薦だって人数枠が少なくなる。

それに、そもそも高校受験で簡単にあきらめて志望校を下げるような人に、有名大学の指定校推薦なんて無理。

指定校推薦は日々努力を積み重ね続けて、結果を出し続ける人に与えられる権利。いわばご褒美だ。

簡単にあきらめるような人にご褒美などあるはずないよ。

だからね、高校入ってからの3年間、そしてその先を考えた時、互いを高め合い人生の財産となる人脈づくりという点で、安易に志望校を下げちゃいけないのだ。

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