9勝6敗という絶妙なバランス

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「人生は相撲にたとえれば9勝6敗でいいんだと。」

これは、私が生きる上でテーマにしている考え方。

インタービュー記事とかでもこの言葉を答えているんだけど、どうしても言葉の本質が伝わらないことも多いので簡単に説明しておこうと思う。

そもそもこの言葉は、私が敬愛するシンガーソングライターの井上陽水さんが、何かのインタビューで話していたフレーズである。

その陽水さんも、自身が売れ出して「毎回ヒット曲を作らねば」とりきんでいる様子に気づいた、小説家の色川武大さん(ペンネームは阿佐田哲也さん)から学んだ考え方ということらしい。

これについて、陽水さんは以下のように解説している。

『15勝全勝はすごいけど、次の場所でその反対になる可能性もある。9勝6敗というレベルだと一番安定感があるというわけですよ。生きていると、いろいろまずいこととか、失敗とか失言とかたくさんあるんですけど、まぁ、いいか、みたいな。(中略)お話を伺ったり読んだりして、「うん、これでいいんだ」的な確認ができたんですよね。』

『むしろ、負けを取り込んでいかないと危ないと。』

(斉藤孝著、「軽くて深い井上陽水の言葉」より)

このコメントについて著者の斉藤孝氏は、

『物事には反動が付き物で、絶好調の時も絶不調の時もある。勝ったり負けたりしながら、まあ長い目で見れば勝ち越しているかなという頃合いのペース』

『10勝5敗は欲張りだ。8勝7敗ではギリギリすぎて危なっかしい。1つ余裕を乗せた9勝6敗あたりがちょうどいい、とするところにセンスが感じられる』

(斉藤孝著、「軽くて深い井上陽水の言葉」より)

と評している。

そしてさらに、

『「負けてもいい」と思うことと「負けを取り込んでいく」ことはスタンスとしてかなり違う。「負けてもいい」には、それなりにがんばった結果として負けてしまったのなら仕方ないという、ややあきらめ的なニュアンスがある。一方「負けを取り込む」には、これをやったら負けるかもしれないけれど、あえてそのリスクを冒して挑戦をして、その負けから何かを得ていこうという意味合いが感じられる。

同じ負けでも、負け方の質が違う。「負けを取り込んでいかないと危ない」というところに、りきみを出さずに厳しい世界を生き抜いてきた陽水さんのアグレッシブさを私は感じる。』

(斉藤孝著、「軽くて深い井上陽水の言葉」より)

と論じているのである。

私も若いころは「全勝」に価値を見出す性分があったから、この言葉に驚きもした。

しかし、よくよく考えると、この言葉の奥深さに気が付いたのだ。

「全勝」に価値を見出すと、力みも生じるし、心に余裕がなくなっていくよね。

最悪なパターンは、ちょっとうまくいかないことが続くと、何とかしなきゃって焦りも出て、さらなる悲劇を生み出す。

だから、そもそもにおいて人間には「絶好調」から「絶不調」までの幅があって、それをあらかじめ理解したうえで、勝負に挑むことができる余裕が欲しいと思うのだ。

受験だってそうでしょ。

「合格」と相反する「不合格」があって、かなりのリスクを背負ってでも「第一志望」に挑むことあるよね。

そこで仮に「不合格」でも、不合格の味を知って、進学先で努力して、大学入試で大逆転することがあるよね。

そういう勝ち負けを繰り返して、”人生”という長い目で見たときに、「9勝6敗」なら上出来だって思うんだ。

毎年、子どもたちに話すけど、受験の醍醐味というものは、「リスクを背負ってチャレンジする」ことだ。

「合格ありき」で考えてはならない。(合格できる学校を選ぶのはいささか好きになれない)

どこかにリスクを感じないと人間必死になれないし、不合格の怖さが「合格」の喜びを大きいものにして、同時に「感謝」の心も育てると思うから。

そんな意味もあって、子どもたちには受験の精髄を味わってほしい。

勘違いしないでほしいから、最後にもう一度言うよ。

「負けてもいい」「負けても仕方がない」んじゃないよ。

リスクを背負って勝負して「負けを取り込む」「負けを財産にする」ってことだよ。

そして、リスクを背負って勝負して勝てるのは、それだけの「努力」をした人だからね。

なんとなく勝負して勝てるほど、人生って甘くないよ。

ちょうど今、相撲は千秋楽。結びの一番。

優勝決定戦になるみたいだ。誰が優勝するのか、楽しみだ。

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